隊員のつぶやき

伊藤 禎  城代家老  9期生  藤沢市在

      

甲冑隊のモットー

 

 小学生の頃、学芸会で安寿と厨子王という劇に出て、悪役の山椒大夫に扮した時の写真が残っていますが、母が作ってくれたボール紙製の鎧を着ています。一体母はどうしてこんなものを作れたのだろうかと長い間疑問に思っていました。丁度リタイアした頃、甲冑教室募集の記事がミニコミ紙に出ており、母のことを思い出しすぐに申し込みました。

 甲冑隊のモットーは、作る楽しさ、着るうれしさ、参加して満足です。甲冑教室に入ったその時から作る楽しさを知りました。教室では仏胴を作りましたが、以来自分で先輩に教えてもらったりしながら、桶川胴、総縅し、腹当て、かるた胴、ミニチュア具足等10領程製作しました。面皰、喉輪、法螺貝等も作りました。甲冑隊に入隊後各種出陣も積極的に参加しました。海外にも3度出陣しました。本当に参加して満足です。いつも家内から小田原市民でもないのにどうしてそんなに小田原のために尽くすのかと嫌味を言われていますが、とにかく楽しいのです。戦奉行や戦家老、城代家老をやらせていただきましたが、楽しくなければ甲冑隊ではないというのが私の信念です。甲冑隊活動は単なる趣味の道楽ではなく地域おこし、町おこしのボランティア活動でもあります。もっと多くの人に北條手作り甲冑隊を知っていただき、入隊して共に楽しさを分かち合いたいものです。

 

 

 

 


 

門眞敏雄 武具奉行 7期生 小田原市在

 

パフォーマンス用火縄銃の作成

 

 私は7期生です。平成14年に入隊しました。始めは鎧を着て門番に出るのが一番の楽しみでした。

法螺も更けるようになり、遠征では隊旗を先頭に銅鑼を打ち、法螺を吹いてパレードし、鬨の声を上げて場を盛り上げることが出来楽しんでいました。しかし、時がたつにつれて何か物足りなさを感じてきました。ほかに十八番になるものはないかと考えた時に、インターネットで見た他団体のイベントでのパフォーマンスで手作りの火縄銃でクラッカーを飛ばしている動画を見つけた時、私はこれだと閃きました。人真似でもいい、我が隊にもこれを取り入れようと思いました。早速見よう見真似で苦労して見本を作り、当時の大目付と城代に提案しました。すぐに提案が取り入れられ、本格的に制作に取り掛かり最初に6丁作りました。ところが、一部の役員から反対の声が上がり、少しもめましたが、門番での使用では大変盛り上がり大好評で、その後反対の声も消えました。今では火縄銃も10丁に増え、大筒も製作し、鉄砲隊も編成できるようになりました。今では遠征でも欠かせない存在になっています。私も間もなく80歳になります。メンテナンスや玉の補充も必要です。次の人達が今後とも末永く鉄砲隊を守り育てていって欲しいと思います

 

    鉄砲隊位置につけ~

       火ぶたを切れ~

         構え~

           放て~  

             ズドン~

       

 伊藤文人 戦奉行 15期生 松田町在

 

「エイ エイ オウ!」 今日も北條手作り甲冑隊の勝鬨の声が小田原城に響く

 

 子供の頃から気弱だった私は他人と話をするのが苦手だった。そこでどうすれば人並みに会話が出来るだろうかと考えた時、若者がコスプレ(costume play)をするのを見て「そうだ! 外観が変わればいいかも」と思い一念発起したが、まさかこの年でセーラー服を着るわけにはいかず、たまたま新聞の地方版に出ていた甲冑教室募集記事を見て、「それなら侍になろう」と甲冑教室の門を叩きました。今日まで学生の頃の夏休みの課題の工作しか経験のなかった私には、甲冑作りはあまりに細かい作業で、完成までついていけるか心配でした。それでも半年間悪戦苦闘の末、まずまずの段ボール甲冑が出来上がり、一つのことに真剣に向きあえて自分なりに満足することが出来ました。今ではそれを着て五月の北條五代祭り、小田原城門番への出陣、他市への遠征等に参加し、「エイ エイ オウ」の勝鬨も大声で挙げられるようになりました。また最近多くなってきた外国の人たちへの挨拶、おもてなしの会話なども出来るようにしたいとのテーマを掲げて、各国語の応答集を作って、声掛けしています。今後も健康な限り参加する喜びを実践していこうと思っています。

 

 

渡邊 勲 目付 3期生 小田原市在

 

 法螺吹き渡邊の登場

 

 人前で話をするのは苦手であったが、甲冑隊に入隊して法螺を吹いたり、出陣で口上を述べたりしているうちに、どうしたことか法螺吹きの渡邊と呼ばれるようになった。

以下は、知人が選挙に出た際の出陣式で法螺話をした時の模様である。法螺吹きの渡邊の名がついたのはこの時以来である。

(ブオウ ブオウと 法螺を吹いて)

 ヤーヤーヤー 遠からん者は音にも聞け~、近くは寄って目にも見よ! 我こそは北條手作り甲冑隊隊員、人呼んでほら吹きの渡邊であ~る。隣町の小田原より、鉄の車に乗って当出陣式に馳せ参じ申した。 (再び法螺を吹いて)

 この法螺ですが、吹くのはさほど難しくはないが、誰でも吹けるわけではない。本日の大将渡辺○○殿(たまたま同性)には無理だと思う。何故なら、正直者は吹けません。私のような法螺吹きだけが吹けるのであります。

 さてこれより出陣される皆様方への気合い入れに、鬨の声を上げますのでご協力のほど、よろしくお願いします。

 右手でこぶしを作り、肩のあたりに構えてください。私が最初にエイ、エイと叫びましたら、オーと叫んでこぶしを上げ、次からは全員でエイ、エイ、オー、もう一度エイ、エイ、オーで終わります。ではよろしくお願いします。

渡辺○○殿の必勝と皆様方のご健康を祈念し鬨の声を上げる。  エイ! エイ! オー! エイ! エイ! オー

エイ! エイ! オー! 有難うございました。 

 

 

森田信宏 戦家老 14期生 小田原市在

 

私と甲冑隊

 

私はかねてより、リタイア後は何か趣味を持とう、それも手作りの製作をしたいと思っていた。平成20年「甲冑教室の生徒募集」をタウンニュースで見つけ即、応募!! これが甲冑隊に入るキッカケとなった。それから6ケ月、苦労し、ようやく仏胴一領を完成させ、その喜びが大きかったことを今でも懐かしく思い出す。次の年は桶川胴を一領完成させた。

その後はネットで甲冑を調べたり、本を読みあさったり、博物館へ出向き資料を集め、より本物に近い格好の良い甲冑を製作することに心血を注ぐようになった。

また、門番出陣の折、先輩方の甲冑を見て刺激を受けたことは言うまでもなく~。五月参日の北条五代祭りには、新たな甲冑を製作し、それを着て参加する。甲冑隊のモットーにまんまと、はまっていった。

今では、手作りで様々な兜、法螺、陣太刀等を製作し楽しんでいる。

香月佐織 18期生 横浜市在

 

 私と甲冑隊の深い縁

 

実は私、東京日野市で新選組のガイドをしています。日野市は北条時代の八王子の城主北条氏照の領地でした。新選組の鬼の副長と呼ばれた土方歳三の先祖も三沢十騎衆という北条家の家臣だったそうです。そんなことでガイドの勉強の一環として北条氏研究のため小田原に行きました。行った日は北条五代祭りの日でした。小田原駅に着いたらホームで甲冑隊が法螺を吹いたりどらを鳴らしていました。同行の友人があの鎧ボール紙で作っているのよと教えてくれ、触らせてもらいました。本当! 軽い!、何この高クオリティ!。でもこの日は北条氏の調査、お城や発掘現場を見て帰りましたが、手作り鎧が気になり、また小田原城に行きました。手作り甲冑をどこで作っているのか聞いたら甲冑教室のチラシをくれました。その場で申込書を書き託けました。甲冑の製作は悪戦苦闘、お師匠さん泣かせの異端児でして、ペンキ塗りに失敗し草摺り30枚を全部作り直しました。兜も出来ずお師匠さん任せ。鎧もごてごて飾り立て注意されました。

私はかねて米山流殺陣を習っていますが、その師範と先輩の中嶋さんが、一年遅れて入隊してきたのには驚きました。殺陣といえば台湾出陣の際に休憩所で練習していたら、城代がそれを見てパレードで披露するように言われ披露しました。それがきっかけで甲冑隊で殺陣講習会が始まり、私も指導助手をするようになりました。甲冑隊には深い縁を感じます。

 

 

伊藤幸二  16期生  川崎市在

 

  武者の世界って楽しい!

 

ある日、小田原で「北條五代祭り」があることを知り、写真好きの私はカメラを担いで車中の人となった。そこは何十年ぶりかに訪れる場所であり、武者姿をカメラに収めるのに興奮した。太鼓、火縄銃発砲と雰囲気はますます高揚し、いよいよ甲冑隊の出陣。城門から凛々しい姿の武者隊が現れた。皆輝いている。私もこんな仲間に入りたいとネット、電話で教室を探り当てた。月2回、一時間半電車で通い、半年かけて何とかマイ甲冑を作り上げた。あのカメラに収めた武者達が、今は皆仲間になっている。その後、草鞋、法螺貝、陣羽織、采配も手探りで作り上げた。自分で作った作品で変身し、観光客等に評価して貰えるのは実に嬉し~いことです。今は仲間と楽しい時を満喫している。今では撮る側としてではなく撮られる側になってしまった。